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祈る

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ある知人が病を得た。

その方に思いが向くと「南無観世音」とお唱えしていた。

先日、その知人から良い方に動いているとの報告があった。

観世音菩薩の御功徳か、単なる偶然か。

 

私は坊主なので祈る事しか出来ない。

私は坊主なので、ただひたすらに祈るのだ。

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魔法の言葉

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マジックワードという物がある。
結構みんな持っているのではないかな。


経験則で言わせてもらうけど、三分以上考えて答えの出ない事はそれ以上いくら考えても解決しない。
そういう時に私は魔法の言葉を唱える。
「南無観世音」
そうして全てを観世音菩薩に丸投げする。後はよろしくって。

「南無観世音」といくら唱えても問題は解決しないかもしれない。

でも、「どうしよう」と何度考えたって問題は解決しない。
不思議な事に「どうしよう」と考えてる時よりも、「南無観世音」と唱えている方が気が楽なのだね。


本当だよ。

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坊主の小言

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お寺に営業の電話があったんだけど。何か癇に障る話しぶりだったなぁ。
 
最近若い人からの接し方で礼儀を失しているのではないのか、不敬ではないかと思う時がある。
お客様は神様とまでは言わないけどね。
とりあえずは友達でも家族でもないんだからさ。
 
仏さんだって、怒る時はあるからね。
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南無観世音。

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海で溺れそうになった時に、「溺れたくない」とジタバタ手足を動かしたり、身を固くするとかえって身体が沈んでいく。
全てを海に預けて、全身の力を抜くと不思議と身体は浮いてくる。

観世音菩薩の導きは凡夫の知恵の及ぶところではありません。
ただひたすらに信じ、己をまかせる所に観世音菩薩の功徳が現れてくるのです。

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ちょっとだけ。

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自分用に書き残しておく。

”時には立ち止まって、足元を見つめよう。
今いる場所を確認する為に。

次に空を見上げよう。
見守ってくれるものを感じる為に。

それから前を見据えよう。
進むべき所を確かめる為に。

再び足を踏み出すのはそれからでいい。”

 

”山を下ろうとした時。
ただ下るだけで良いのなら、終点は沢山ある。
足のおもむくままに下りればいい。

山を上ろうとした時。
ただ上るだけであっても、終点は一つしかない。
見定めて上らなければならない。

物事には目的地を見定めなければたどり着かない事もある。”

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十一面観音菩薩

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当寺の本尊は十一面観音菩薩様。
この十一の顔にはそれぞれに意味があって。
先ず頭上に悟りの境地たる化仏を頂く。
本面を含む正面を向いた三面は慈悲の心の菩薩面。
右側三面は衆生を教え導く狗牙上出面。
左側三面は叱り戒める瞋怒面。
以上の十面の他に後ろを向いた面がもう一面。
普通の状態では見る事の出来ない所にあるのが「大笑面」
全ての悪業罪障をカラカラと笑い飛ばしてしまうという。
ねぇ。十一面観世音菩薩。
すごくない?
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坐禅の目的

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坐禅をしたからといって特別何かが得られるわけではない。
豁然大悟するわけでなし、チャクラが開くわけでなし、神仙になって空を舞えるわけでなし。

ただ、すこしだけ執着する事から離れるといういう事を体験できる。
それは小さな事ではあるが、意味深い。
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